出産の経験について。
14日の夜中、仕事がなかなか終わらず2時ごろまでベッドの上でぐだぐだやっていた。
いい加減つかれてきて、就寝。明け方4時ごろトイレに起きたら、2階のトイレに夫が入っていて
なかなか出そうもなかったので重いお腹を抱えて1階のトイレへ。
上がり降りすると随分またに負担がかかるのを感じたが、そのままベッドへ。
そして横になろうとして突然破水。
「あわわわわ」
と慌てそうになったが、とりあえずトイレから戻った夫に韓国語で「病院に行かないと!」と
訴える。夫もあわあわ。そして夫はとりあえず隣の部屋で寝ている父母を起こしに行った。
私は山口病院へ電話。そのとき明け方4時45分。陣痛などはまったくない。
電話に出たナースは、全く慌てる様子もなく(当たり前だけど)冷静沈着に対応。
その時「入院の準備をしてきてください」と言われたらしいけど、あわあわしすぎた私は
タオルだけをつかんで家を出てしまった。タクシーを父が呼んでくれて、約10分ぐらいで到着。
歩くとどびゅっと羊水が漏れるのがわかる。とりあえず病院で教わったように、幼児用のおむつのサンプルを
ナプキンとして使って、タクシーの座席が濡れないようにタオルを三重にひいて座った。
タクシーの運転手さんは妊婦を乗せたことで妙にハイテンションで、ここぞとばかりにアクセルを踏んだ。
病院は羊水の漏れている私にはキツイ2階が深夜の受付。階段しかない。
インターホンで「小林です」と言うと門があいた。
小太りのナースが対応してくれたが、私が荷物を何も持っていないことを知ると突然
機嫌が悪くなり、「旦那さんは荷物持ちのために付添してもらってんだからね」と
うちの旦那を睨みつけた。マスクをすぐに買ってつけるように言われる。
夫は「荷物持ち」なので、すぐに帰宅を促された。「まだ生まれませんか?」と夫。
「まだまだよ」とナース。
シーンとした病院の生暖かい空気の中、明け方なのに全く眠気は訪れず、これから
出産を体験する雰囲気にもならず、とりあえず横になりたい気分だった。
それからトイレで尿検査をし、羊水ようの大きいナプキンをもらってつけて、
案内された噂の陣痛室(4人部屋)の1隅のベッドで横になった。
時計を見たら5時半ごろになっていた。羊水が漏れるたびに赤ちゃんは大丈夫なのかと不安になる。
お腹に心音を図る機械をつけに看護婦が来た。看護婦がいぶかしげな顔をしてお腹の心音を
探すものだから、「まさか赤ちゃんに何かあったのでは・・・」と気が気でなかった。
それから横になっている間中、病院のすぐ眼の前を走る電車の音と、たまに鳴る心音の機械のエラー音、
それから他のベッドで寝ている妊婦たちのうめき声に耳をそばだてながら、どきどきと横になっていることになった。
30分ぐらいは寝たのだろうか。8時になると、他のベッドの妊婦さんたちに家族の面会が訪れ、病室が
賑やかになった。私だけ一人なので、他のベッドの声を事細かに聞いていた。
だんだんと、他の妊婦さんの声が荒くなってきて、「はあ、はあ、はあ」と声が出たり、
尾てい骨のあたりをさすってとか、押してとか、相当に辛そうである。
ナースに「みんな頑張ってるんだから頑張らないと赤ちゃんもつらいよ」とか言われている。
そのころ私は、約10分間隔でなんとなく痛いのかな、腰に痛みが走るよ・・・
というような曖昧な痛みと闘っていた。なんとなくこれを「陣痛」と呼ぶにはほかの妊婦さんに悪い気がして
特に何事でもないふりをして寝ていた。9時15分ごろトイレに起きる。
トイレの帰り、荷物を持ちマスクをつけた母が廊下で立って待ち構えていた。
そのころになってやっと「こりゃやっぱり陣痛ってやつだわ」と言える痛みが襲ってきて、
母が腰をさすってくれることで大分助かった。その波はやはり本に書いてあった通り
だんだんと間が狭くなっていき、痛くない時は天国なのだが、痛いときは地獄。腰の奥の方で
何かがうずくような、たとえようのない痛みだった。母がさぼってさすってくれないと声なく
「さすって!ずっと!」と促した。「これからどんどん痛くなるわよ」と他人事のように母は怖いことをいう。
出産は一種のイベントであり、命に別条のない痛みだし、ましてやあかちゃんが生まれてくるための
輝かしい儀式だと思えばその通りなのだが、当の本人はやはり「もう2回目はないな。二度と産むもんか!」
と一度は思ってしまうものなのである。そのぐらい痛い。
12時にならないぐらいに、病院側から入院の資料の未記入欄を記入せよ、という指示がある。
この時のナースは本当に「鬼か!」と思った。ただ、記入してなかった私が悪い。
勝手に予定日まで生まれないものと思い込んでいた私のミスである。
脂汗を握りながら、遠のくような意識のなか、3、4枚の「はい、いいえ」式のものや名前住所などを
記入するものを機械的に埋めていった。ページをめくるのもつらければ、体を起こしているのも辛い。
そしてそのあときた昼食には当然手をつけられなかった。朝食が7時ぐらいに来たときには、
よもぎパンやらロールパン、ちょっとした野菜など半分以上食べられたのに。
そしてとうとう、最後の陣痛(私にはそう感じた)がやってきた。
もういきみたくなくても勝手に体がいきんでしまう痛み、というか盛り上がるような陣痛。
私が声を出してあがいていると、他の妊婦の対応をしていたナースがカーテンの向こう側から
「小林さん!いきんじゃだめ!いきむのは最後だけよ!」としきりに言ってくる。
母親教室で教わり、たまに気が向くとお風呂の中で練習していた呼吸法も役に立たない。
どうしていいかわからない。しきりに息を吸ってふっふっふっふと吐き続けるほか方法がない。
そしてナースがやってきて、子宮内に手を突っ込まれ、とうとう
「旦那さんすぐ連絡つく?」と「そろそろサイン」が出た。
母に連絡をしてもらうと、私はそれから割とすぐに分娩室に移された。(といっても足で移動だけど)
お腹を触って顔をしかめて歩く私を見た夫は、「なんだよ~このやろう~」というような顔をしていたと
後で報告してくれた。
分娩台は、今まで内診の時に乗っていた台となんら変わりがなかったように感じた。
私はメガネをしておらず、(それがよかったのかも)よく状況を把握できないうちに、
最初助産婦さんが「小林さん、いきんでいいですよ~」と言ってくれたのが
天使からのお告げのように感じた。
「息を大きくすって、息を止めて力いっぱいいきんで」と言われたのでその通りに。
すると、なんとも言えない開放感が。それを5回ぐらい繰り返すと、
「先生!」と助産婦さんが男性の先生を呼んだ。
子宮の入口をぐりぐりやっているのがわかる。
夫は立ち会っているものの、本当に立ち会っているだけで、私の顔をしきりに触っている。
汗が出る。夫は助産婦さんに団扇を渡され、私に風を送り始めた。
そして、後から知ったのだが、入口を少し切ったらしい。メガネがなくてよかった。
そしてそのあと先生と助産婦さんたちの「うまい!」とか「その調子!」とかの
励ましの声に助けられ、5回ぐらいのいきみの末に、ぬるりと海君が出てきた。
そのあと、胎盤の摘出もあり、ただ思ったよりすぐに出てきた。
なんとなく朧げながら、左のステンレスの台に真っ赤な脱脂綿の塊がいくつか置いてあるのが
見える。その数を先生が数えている。
それから、「元気な王子ですよ!」と先生が言い、お腹に何か引いたうえに
海くんを乗せてもらった。貧血で意識が遠のく。海君は思ったよりもしっかりとした
体をしていた。
そして海くんと旦那は、別の部屋へと移動し、何か声が聞こえるが、よくわからない。
先生は最後の仕上げとばかりに、またを縫い始めた。それがまたチクチクと痛かった・・・。
産後の安心感のせいか、今までの痛みに比べたらどうってことないのだろうけど、
やっぱり痛いものは痛い。「痛いです」と言った。
そして普段はそのまま分娩室で2時間ぐらい休むらしいが、この日はバレンタインベビーが
多かったらしく、すぐに別の部屋に移動させられた。立ち上がるとくらっとした。
人生初めての立ちくらみ。
人生初の車いすに乗り、搬送させられる。

現在母乳をがぶがぶ飲みすくすく育ち3100g